まさか自分が。。入社2年目で適応障害と診断、2か月半の休職、復職してから今に至るまで①

はじめに

こんにちは、ゆめメガネと申します。

今回は私が過去に適応障害と診断されたときのことを書いてみようと思います。

当時は人に大っぴらに言えるような精神状態でもなかったですが、それからしばらく時間も過ぎて過去の経験として話せる段階になった気もするのでその時のことや思っていたことを書こうと思いました。

私も適用障害になった際に同じような状況の方のブログや記事を読んで励まされたという経験があったので、当時のことをなるべく細かく紹介できたらと思います。

このブログが参考になるなどとは思いませんが、一例として少しでも似た状況の方へのお役に立てれば幸いです。

適応障害という病気について

名前は聞いたことあるけどという方もいると思いますが、そもそも適応障害ってなんなの?という方も多いと思います。
私も自分自身がなるまではなんとなく精神的な病気だよなあくらいの認識でした。

以下厚生労働省のサイトによると『適応障害』とは以下のような症状を言います。

日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいう。

https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-041.html

私も専門家ではないので、詳しくは専門家の方の意見や文献をご覧いただければと思いますが、
精神的な病気というと『うつ』も連想されるかと思います。

私が医師の方に説明を受けた際には以下のように違いを説明されてました。

『うつ』と『適応障害』は似た症状が出ますが、適応障害の方はその原因となったストレス源が明白なケースが多く、その原因から離れると快方に向かうことが多々あるといいます。

例えば私の場合だと職場・仕事におけるストレスが原因でしたので、休職という形で仕事から離れることで、徐々に回復に向かっていきました。

まさか自分がなるなんて。適応障害と診断されるまで

私が適応障害と診断されるまでの経緯について話します。

新卒で入社したIT企業に勤めて2年目の年でした。
仕事も少しずつ覚えてきて、こっからだなとやる気も十分そんな感じでした。

新人扱いで先輩社員の監督のもと業務をしていたそれまでの状況とは変わって、プロジェクトのいちメンバーとして数えられ責任も仕事量もそれまでとは比にならないそういった状況でした。

プロジェクトとしては3人、PMと呼ばれるマネージャーYさん、先輩社員のKさん、そして私というメンバー構成でした。

プロジェクトととしては同程度のものと比べ納期までが短くかなりタイトなスケジュールでした。
(当時はそれがきつめのプロジェクトだったということさえ知りませんでした。)

私自身まだまだわからないことだらけで仕事の能率は思うように上がらず、ただがむしゃらに目の前の作業に追われていました。
残業も多く、気づけば日をまたいでるなんてことは多々ありました。

ただ一緒になった先輩社員の方がご自身も忙しい中、気を遣ってくださったこともあり心折れることはその時点ではなかったです。

それまでたいして残業などもしたことがなかったので体力的にはきつかったですが、こういうきつい期間を経て皆さん一流になられるんだと思い、まだまだと自分を奮い立たせながら仕事してました

そんな状況が2か月くらい続きました。
忙しさやキツさは2か月たってもさほど変わっていませんでしたが、そんな中自身の体に異常が現れ始めました。

その日も仕事を終えてようやく寝れるとなったのが午前2時くらいだったと思います。

連日の仕事で体はへとへと、今すぐにでも寝たいという状況です。
そんな状態で寝床につくのですが、なぜだか全く眠れません。

今日は頭が妙に冴えてしまったのか、しばらくしたら自然と寝れるだろうと思いましたが
布団に入ってから2時間ほどたっても寝れず、おかしいと感じました。

結局その日は朝の5時くらいにようやく眠れたと思います。
次の日も同じような状況でした。

明らかに体は寝ろ!!!と言っているのに全く眠れない。
そんなことはこれまでの人生で経験したことがなかったのでものすごく怖かったし、不安でした。

なにかがおかしい、自分の体が変になってる、そう思うようになりました。
今冷静に考えれば、仕事が原因であることは明白でしたが当時は落ち着いて物事を考える状態でもなかったのだと思います。

寝たいのに眠りにつけない、昼間も慢性的に眠い、ただ仕事を投げ出すわけにもいかないという具合で1週間くらい経った頃でした。

次の日は朝早くから作業があって、早く寝なきゃという日でした。
22時ごろに仕事を終えて、明日の準備をというときでした。

もう疲れた。なにもかもやめたい。死にたい。

思考停止でした。何も考えることができない、次どうしていいか自分の頭ではどうにもこうにもならない、そういう気持ちでした。

自分のことをそんな風に思ったことはなかったので、それを認識したらものすごく悲しくなり、
初めて泣きました。
大人になってからちゃんと泣いたのは初めてってくらい泣きました。

その様子を見ていた当時同棲をしていた彼女から、

「明日は仕事お休みしよう。」、「今からでも相談できそうな上司の人に連絡してみたら?」
といわれました。

言われるがままでした。自分では次の瞬間の行動もどうしていいかそのときは判断つかなかったので、
上司に連絡しました。

口では落ち着いて話せそうになかったので、メールしました。

夜も遅かったので、返信があるまでの間とても不安だったのを覚えています。

上司にはありのままを話しました。
ここ1週間くらいまともに眠れていないこと、気持ちの整理がつかなくなってどうしたらいいかわからなくなっていること、明日の大事な作業があり休むことはできないこと。

10分ほどで上司から返信がありました。

当時の私からしたら予想外の返答内容でした。

上司の返信は以下のような感じでした。

  • まず明日は休みで大丈夫。案件のメンバーへの連絡もしなくていい
  • 今はいろいろ考えられないだろうから明日気持ちが少し落ち着いたら、精神科or心療内科を受診してみて。
  • 明日話せそうなときに少し話をしよう。

細かい言い回しは忘れましたが、内容は上記のようでした。

そんなことが許されるのかという気持ちもありましたが、それよりも少しだけ気持ちが楽になるのを感じました。

そして、翌日家からそれほど遠くない心療内科をネットで見つけ受診しました。

心療内科というところも初めてでした。どんなことを聞かれるのか。
この先どうなるのか。色々な気持ちでぐしゃぐしゃになりながら足を運びました。

かかった先生は物腰柔らかい方で、こちらが話せるようになるまで待ってくれるそういった先生でした。今思えば心療内科の先生というのはそういう方々なのかとも思います。

今日にいたるまでの仕事、家庭での状況、自分の中で変わったと感じること、困っていることなどいろいろ話しました。

適応障害』と診断されました。

名前は聞いたことありましたが、私もそういわれても精神的な病気というくらいであまりピンときてませんでした。

言われたときは複雑な気持ちでした。

まさかそういう病気に自分がなるわけないと思っていたし、いざそういわれても受け入れがたく、悲しく思いました。

ただ不眠などの自身の最近おかしいと感じていた状況はその病気のせいで、原因はおそらく仕事でありひとつ説明がついたことで気持ちが楽になった自分もいました

その日は診断書を書いてもらい、薬(不眠症のため)をもらって帰りました。

今後どうなっていくのか漠然とした不安にさいなまれながら、上司に診察結果を伝えるために電話しました。

–思ったよりボリュームが出てしまったので、続きは別の記事にしたいと思います。
『まさか自分が。。入社2年目で適応障害と診断、2か月半の休職、復職してから今に至るまで②』に続く

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